如月五月の「ちょっと気になる話題、情報を斜め視線から」

ちょっと気になる話題、情報を斜め視線で解説

「論破力」はあくまで手段、目的は結果がうまくいくこと

 

論破力

2018年10月12日

 「論破王」と呼ばれている著者が、相手を議論で論破するテクニックや意味を語る本である。

 著者の考えは「論破力は話し方の問題というよりは、事実ベースの材料、つまり根拠を持っているかどうか
の問題」(第6章)に集約できるのはないか。

 つまり、「感情」や「思い込み」などで説得するのは無理な話で、数字などの「事実」に対抗できる手段は
ない、ということだ。

 また、議論しても意味のないものとして、「好き」、「面白い」など主観的なテーマを挙げている。まあ、
白黒の決着を付ける「議論」にしないで、相手の主張を参考にする「対話」ならこのテーマでも「価値観が広
がる」という意味はあると思うが。

 第2章では、「ジャッジする人がいない状況では議論しない」、「逃げ道を塞いでしまう『絶対』は禁句」、
「曖昧、難しい言葉は使わない」など、議論するうえで有用なテクニックも多数紹介している。

 特に、仕事関係の場合は「ジャッジする人」(会議の場合は役職上位者)の存在は重要だろう、大抵の議論
は一対一の個別攻撃になりがちで、双方が結果に不満を残ことが多いからだ。もっともジャッジする人が必ず
しも公平公正とは限らないので、そこは割り引いて受け止める必要があるのが「現実」なのだが。

 第3章のキモは、「論破力の駆使には相手の思考パターンを理解することが大事」だ。

 相手の立場を理解して自分の主張を展開するのは基本なのだが、この思考パターンは無限に存在する訳で、
すべてに対応できる訳ではない。

 著者が実践しているのは、「会話のキャッチボールのなかで、その人がどう考えるのかモデルを組み立てて
いく」という手法。つまり、会話のなかで相手の考え方を捉え、自分のパターンの共通分野に持ち込んでいく
やり方だ。

 後半第4章からはやや毛色が異なり、対人間の処世術に近い内容になっている。具体的には「ウソを見抜く
質問術」、「揚げ足取りは相手の知識レベルの確認」などのテクニックに始まり、「非論理的な人の取り扱い
法」、「おかしな人のエネルギーを受け取らない」などの対処法、「人に期待しなければ最強」、「議論でい
ちいち傷つかない」といったアドバイスまである。

 個々に見れば、他の著者の「人生の処世術」の類の本にも近いような記述はあるのだが、2チャンネル管理
人時代に訴訟がらみで裁判所に通い詰めた本人の弁であり、個人の経歴や体験に基づいているだけに説得力が
ある。

 これをさらに具体的にしたのが第5章の「ああ論破したい!! こんな時どうする!? ひろゆきのお悩み
相談室」だ。「異常に細かい人に詰め寄られて疲れる」など身近によくある事例8つを取り上げて、その対処
法を解説している。

 予想に反して面白かったのが最後の第6章「議論に強くなる頭の鍛え方」。この章では、これまでとは別
の角度から論破力を論じている。

 「ああ言えばよかったと後悔するのではなく、次の議論に生かす新しい自分の思考パターンを作る」という
考え方、「議論に強い人は『保留』をする」という選択肢、「試合に負けて勝負に勝つのも立派な論破力」と
いう著者ならではの思考パターン――など。

 どれもそれまで固執していた自分の思考回路をリセットして、別の新しい見方・考え方を取り入れるという
点で共通している。

 本書のタイトルは「論破力」だが、個人的には議論に勝つためのテクニックが主体の前半の1章から3章よ
りは、対人関係の対処法に重きを置いた後半の4章から6章の方が参考になった。

 ネットの世界では知らない人はいない有名人の著作だけに注目を集めそうだが、巷に溢れる「相手に勝つた
めの議論術」という王道テクニックではなく、個人の体験に基づいた「ちょっと視点を変えて対処する」とい
う考え方は面白いと感じた。

 「論破力」はあくまで手段、目的は結果がうまくいくことなのだ。

【追記】
 時間の価値のついて、ちょっと気になった記述があったので簡潔に。

 著者は、「正社員の雇用維持には一時間当たり5100円かかっている」として時間の価値をとても重視してい
る。
 これはよく分かるのだが、一方で「(自分は)よく遅刻するので、遅刻が嫌いな人は最初から近づかないで
ほしい」とも述べている。

 とはいえ、すべての人が著者の遅刻癖を知っている訳ではない。会ってみて初めて「著者は一時間も遅刻す
るんだ」と知る人もいるはず。こういう人に「5000円を無駄にさせた」ということに対してどう説明するのだ
ろうか。時間が貴重なのは相手も同じだと思うのだが。

 仮に相手も遅刻魔で、待ち合わせに著者よりもさらに一時間遅刻してきたら、著者は「自分は5000円分損し
た」として相手を責めるのか、もしくは「お互い様」で納得するのだろうか。

 まあ、著者の仕事柄、多少の遅刻は許されるという社会的立場、環境にあることは理解できるのだが。